日本女子ゴルフ界の先駆者・樋口久子さん。華々しいキャリアの裏には、2度の結婚と離婚という人生の転機がありました。ゴルフを通じて出会った夫たちとの関係は、彼女の生き方にも深く影響を与えています。
今回は「樋口久子の現夫は大塚克史で前夫は松井功!若い頃や現在も調査。」と題して記事をお届けします。

是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
樋口久子の夫について。
樋口久子さんは元夫と現在の夫の2度の結婚歴があります。それぞれ見ていきましょう。
現在の夫は大塚克史
1985年(昭和60年)5月5日、樋口久子さんは実業家の大塚克史さんと再婚されました。
お二人の出会いはゴルフコンペ。そこで初めて顔を合わせた後、偶然にも東京駅で再会したことがきっかけとなり、交際が始まったそうです。
週刊誌などに注目されるのを避けるため、デートはもっぱらゴルフ場。ゴルフを通じて距離を縮めていったお二人の関係は、自然な流れで結婚へと進みました。
再婚の理由について、樋口さんは「大塚さんの優しさ、ゴルフへの理解、そして子供が欲しかったこと」が決め手だったと語っています。
大塚克史さんは貸しビル業を営む実業家で、現在は「オフィス・チャコ」の代表も務めておられます。
ゴルフが結んだご縁が、人生の新たなスタートにつながった素敵なエピソードですね。
元夫の松井功との馴れ初め
1972年12月、27歳のときに、樋口久子さんはプロゴルファーの松井功さん(元日本プロゴルフ協会会長)と結婚されました。
仲人は、ミズノの元社長・水野健次郎さんが務めたそうです。
お二人はもともと顔見知りで、砧ゴルフ場に所属する榎本七郎さんの応援に行った際に会っていたこともありました。
また、川越カントリークラブのメンバーから「練習場にいい息子がいるから一度会ってみないか」と誘われ、お見合いのような形で別の方と会ったこともありましたが、その方とは縁がなく、当時ヘッドプロとしてレッスンをしていた松井功さんと交際を始め、結婚に至ったそうです。
松井さんも林由郎プロに弟子入りし、東京都民ゴルフクラブで修業していた経歴があり、同じ師匠を持つことも縁のひとつだったのかもしれません。
離婚理由とその後の関係
結婚後、樋口久子さんの仕事が非常に忙しくなり、夫婦の間にすれ違いが生じるようになりました。
そんな中、1980年3月には流産を経験し、大きなショックを受けた樋口さんは、思い悩んだ末に1983年に離婚を決意します。
結婚生活は約10年で幕を閉じました。
ただし、離婚は決して険悪なものではなく、円満な形での別れだったそうです。離婚後も松井さんの住まい探しを手伝うなど、良好な関係を保っており、現在もプロゴルフ協会の仕事を通じて会う機会が多く、会えば普通に会話を交わしているとのことです。
当時の週刊誌などには松井功さんの不倫報道や、樋口久子さんの不倫報道などもありましたが、真相は不明です。
樋口久子の夫に関するその他の情報
続いては樋口久子の夫に関するその他の情報を見ていきましょう。
樋口久子の娘
樋口久子さんは昭和63年(1988年)2月29日に42歳で長女・久仁子さんを出産し、高齢出産ながら2年足らずでツアーに復帰しました。
米女子ツアーのママさん選手たちの姿に刺激を受け、家庭とプロとしての責任を両立させようと努力を重ねました。家を出るたびに泣く娘を後に残し、後ろ髪を引かれる思いでコースへ向かい、ラウンド後は何度も電話をかける日々。
しかし娘は成長とともに距離を置くようになり、「ゴルフに母親を奪われた」と感じていたようです。小学高学年でゴルフに誘った際も「同じ寂しさを子供に味わわせたくない」と断られ、樋口さんは深く傷つきました。
女子プロゴルフ協会の会長就任後も娘との関係修復を試みましたが、「今さら遅い」と拒まれることも。それでも娘は20歳を過ぎてからゴルフを始め、現在は母娘でプレーを楽しむようになりました。性格は正反対ながら、少しずつ絆を取り戻しているようです。
樋口久子のプロフィールと経歴(若い頃と現在)
樋口久子(ひぐち ひさこ)さんは、1945年10月13日生まれ。埼玉県川越市出身で、身長163cm、血液型はO型です。学歴は二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)卒業。なお、結婚後の本名は「大塚久子」さんです。
中学時代は陸上競技に打ち込み、陸上選手として本格的に活動するために二階堂高等学校へ進学。しかし、高校時代に実姉が勤務していた東急砧ゴルフ場で中村寅吉プロと出会い、ゴルフに興味を持つようになります。卒業後は中村プロに弟子入りし、川越カントリークラブで研修生として働きながらプロを目指しました。
1967年に第1期女子プロテストに合格し、翌1968年には日本女子プロゴルフ選手権大会とTBS女子オープン選手権(現・日本女子オープン)を連覇。1970〜80年代にかけて日本の女子ゴルフ界を牽引し、国内外で数々の実績を残しました。
海外でも活躍し、1974年にオーストラリアン女子オープン、1976年には日本人初のLPGAツアー優勝(ヨーロピアン女子オープン)、そして1977年にはアジア人初となるメジャー大会・全米女子プロゴルフ選手権で優勝。世界にその名を知られる存在となりました。
英語圏では「Hisako」が発音しづらいため、「チャコ・ヒグチ(Hisako Chako Higuchi)」の愛称で親しまれ、世界ゴルフ殿堂にもこの名前で登録されています。
1996年には日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)会長に就任。1997年に競技から退き、後進の育成に尽力。2003年には日本人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たし、その功績を称えて「樋口久子・紀文クラシック」という大会も開催されました。
2011年にJLPGA会長を退任後は相談役に就任。2014年にはゴルフ界から初めて文化功労者に選ばれ、2018年には日本ゴルフ協会特別顧問にも就任しています。
優勝回数は国内外合わせて73回、賞金女王11回という圧倒的な成績を誇り、日本女子ゴルフ界の歴史を築いたレジェンドです。
今回は「樋口久子の現夫は大塚克史で前夫は松井功!若い頃や現在も調査。」と題して記事をお届けしました。

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