2020年1月29日に76歳で急死した梓みちよさん。だれもが耳にしたことがあるヒット曲「こんにちは赤ちゃん」で有名な歌手です。
梓みちよさんは自宅で倒れて亡くなられていたところを発見されました。
今回は「梓みちよの死因!東尾修との関係。さんまや和田アキ子との逸話!」と題して記事をお届けいたします!
さいごまでご覧ください!
目次
梓みちよの死因は?
梓みちよさんの死因は「心不全」です。
2020年1月29日に自宅を訪れたマネージャーがインターホンを鳴らしても反応がなく、合鍵で部屋に入るとベッドの上で冷たくなっていた梓みちよさんを発見しました。
この日マネージャーは梓みちよさんがレギュラー出演中の通販番組の打ち合わせのために自宅を訪れました。
2019年12月末には元気だったということ、自宅で倒れていたことから心疾患で突然倒れて亡くなられた可能性が高く死因は心不全となります。
病歴は?
死去する前は膝を悪くして、歩くときには杖を使うようになっていたものの、それ以外は特に死因に関係するような病気などもなく突然に訪れた死とのことです。
お亡くなりになる26年ほど前に大病を患った経験もあるそうですが、その病気は詳しくは明かされておらず、その病気と死因との因果関係などもわからない状況です。
孤独死
誰にも看取られることなく1人でなくなることを孤独死と言います。1人暮らしの方が自宅でひっそりと亡くなった場合も孤独死に当たるので、梓みちよさんも孤独死となります。
梓みちよさんが亡くなる前の同年18日には俳優の宍戸錠さんも都内のマンションで孤独死していました。
芸能界でも孤独死される方がいるのは高齢化社会の問題の1つの孤独死が増加傾向にある事実をはっきりと認識させられます。
プロフィールと経歴
名前:梓みちよ(あずさみちよ)
本名:林美千代(はやしみちよ)
血液型:O型
星座:ふたご座
生年月日:1943年6月4日
没年月日:2020年1月29日(76歳没)
出生:日本統治下の朝鮮釜山市
出身:福岡県福岡市博多区
学歴:福岡女子学院中学校、高等学校1年修了、宝塚音楽学校中退
所属:アラベスク
もう少し詳しい経歴も見ていきましょう。
経歴~出生~学生時代
梓みちよさんは1943年6月4日に日本統治下の朝鮮釜山市で生まれました。その後家族で福岡県に移り福岡で育ちました。
5歳の頃に父親は他界してしたので、母親の林芳子さんに女手一つで育てられました。
福岡女学院中学校に進学して、福岡女学院高校2年生の時に中退して宝塚音楽学校に入学しました。
その後「渡辺プロダクション」のオーディションに合格したことをきっかけに宝塚音楽学校を中退して状況しました。
歌手として芸能界デビュー
上京してから約1年間のレッスン後の1962年に「梓みちよ」の芸名で歌手デビューを果たしました。デビュー曲は「ボッサ・ノバでキッス」
「梓弓のようにしなやかで強くなって欲しい」という渡辺プロダクション創業者の渡辺晋の思いを込められて名付けられた芸名です。
1963年、19歳の時にNHKの番組「夢で会いましょう」の7月の歌として選出された「こんにちは赤ちゃん」が大ヒットしてレコードは100万枚を超えるミリオンセラーとなり、第5回日本レコード大賞受賞、センバツ高校野球の行進曲にもなりました。
令和となった今でもほとんどの日本人が1度は耳にしたことのある有名な曲となりました。
その他にも「二人でお酒を」「メランコリー」などのヒット曲があります。
「二人でお酒を」は梓みちよさんがステージ上であぐらをかいて歌うパフォーマンスがあり当時はかなり斬新で反響があったようです。
続いては梓みちよさんの旦那さんや子供について見ていきましょう。
旦那と子供は?
梓みちよさんは1971年に俳優の和田浩治さんと結婚しましたが、翌1972年にスピード離婚しました。
2人は1970年4月に知り合い、7月にはプロポーズは済んでいて、秋には「結婚直前」と報じられ翌年3月6日に電撃婚をしました。
結婚後、梓みちよさんは地方公演で家を空けることが多く、和田浩治さんは関西での仕事が増えた結果、すれ違いの生活が増えて1年7カ月で離婚を発表しました。
2人の間にお子様はいません。
続いては梓みちよさんの驚きエピソードをまとめました。
梓みちよのエピソードまとめ
東尾修との不倫関係
離婚後は生涯独身を貫いた梓みちよさんですが、1983年頃に東尾修さんとの不倫関係が報じられました。
東尾修さんと言えば最近では東尾理子さんの父親で1995年~2001年まで西武ライオンズの監督を務めリーグ優勝にも導いた名監督として有名です。
不倫関係が報じられた当時は西武ライオンズの現役の投手でした。
報道レポーターなどにインタビューされた時に、東尾修さんは無言を貫きましたが、梓みちよさんは「大人の関係」と不倫を認めるような発言をしました。
梓みちよさんと東尾修さんの関係は20年~30年も続いたと言われています。最終的には梓みちよさんがテレビで公言したそうです。そのテレビの詳細情報は見つかりませんでしたが、そのテレビで不倫関係を暴露するのを見ていた方のツイートは見つけました。
梓みちよさんと東尾修さんの関係を東尾修さんの妻も知っていたのですが、文句なども言わず東尾さんが家に帰ってくるのを待っていたようです。
東尾修さんの娘、東尾理子さんは子供の頃に梓みちよさんのところに「お父さんを返して」と訪れたことがあるそうです。
明石家さんまに激怒!
1986年に明石家さんまさんが司会をするトーク番組の「さんまのまんま」に梓みちよさんが出演した時に、明石家さんまさんの言動に腹をたてた梓みちよさんがグラスに注がれたシャンパンを収録中に5回もぶっかけるという事件が起きました。
明石家さんまさんが梓みちよさんのヒット曲のタイトルを思い出せなかったことにご立腹されたそうです。
和田アキ子をいじめていた?
今でも芸能界の大御所として活躍し「ゴッド姉ちゃん」の異名で知られる和田アキ子さん。
2018年に和田アキ子さんが「徹子の部屋」に出演した際に、デビュー当時に「ある先輩歌手」からいじめられたことがあることトーク中に話して話題になりました。
・「楽屋に男がいるから着替えられない」
・「私、あなたの次に黒い衣装で歌うから黒衣装やめて、着替えなよ」など嫌味を言われたことがある。
・仕方なく着替えて、靴を履き替えようと思ったら靴に「男は出ていけ」と書かれていた。
デビュー当時だったため歯向かうこともできずに悔しくてトイレにこもって泣いていたそうです。
番組中に梓みちよさんの名前は出てきていませんが、その後のトーク内容や当時の芸能界を知る人の考察で梓みちよさんである可能性が高いとされています。
まとめ
今回は「梓みちよの死因!東尾修との関係。さんまや和田アキ子との逸話!」と題して記事をお届けしました。
・梓みちよの死因は心不全
・孤独死だった。
・元旦那と和田浩治とは1年でスピード離婚
・東尾修と長年の不倫関係。
・さんまにシャンパンをかけた。
・和田アキ子をいじめていた。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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