コピーライターとして活躍する糸井重里さんの1人娘で「ほぼ日刊イトイ新聞」などで活躍する池田あんださん。
今回は「池田あんだは糸井重里の娘【画像あり】結婚相手は写真家の池田晶紀!」と題して記事をお届けします。
・池田あんだについて【写真】
・池田あんだの結婚相手
・糸井重里のプロフィールと経歴
是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
池田あんだは糸井重里の娘
池田あんださんはコピーライターの糸井重里さんの1人娘です。糸井重里さんが1981年に結婚して同年に誕生しました。
糸井重里さんが主宰するウェブメディアの「ほぼ日刊イトイ新聞」が1998年6月に発足した時から「ぼーっとした女子高生通信。」をゆーないと名義で連載開始しました。
本名はゆうな
「ほぼ日刊イトイ新聞」で糸井あんだ(いといあんだ)として父親がコピーライターの糸井重里として紹介されていますが、実はあんだと言う名前は愛称で本名は「ゆうな」と言う名前です。
あんだという愛称は糸井重里さんが大の野球好きであることから野球の「安打」にちなんで「あんだ」という愛称になりました。
池田あんださんは「ゆーないと」名義でも活動されていますが、この名前に関しては
ゆーないとという名前(もちろん本名ではないです)、
ほぼ日
その由来は英語の【unite】。
結びつける、つなげる、親密にする、という意味です。
上記のような意味があると本人が説明をしていますが
それ以外に本名のいといゆうなを名前から先に読むとゆうないといになりそれを略してゆーないとになったのではないのかなと思われます。
池田あんだの写真
池田あんださんの画像を集めてみました。
上の画像は2009年8月に撮影された画像です
上の画像は2013年頃の画像です。
上の画像は糸井重里さんと池田あんださんが2014年にパリに旅行に行った時にパリの子供たちに変装グッズをプレゼントされて返送している池田あんださんの写真です。ちゃんとのっかてあげているのはえらいですね。
誕生日
池田あんださんは1981年生まれとの情報があり誕生日の情報はありませんでしたが、SNSを調べたところ誕生日の情報が見つかりました。
池田あんださんのインスタグラムの投稿で誕生日が10月20日であることが書いてありました。
1981年10月20日が池田あんださんの誕生日になります。
池田あんだの出身校
池田あんださんについて調べていると昔の「いといあんだ」名義でのFacebookが見つかりそこには出身高校が東洋英和女学院高等部、出身大学が多摩美術大学 造形表現学部であることがのっていました。
結婚相手は池田晶紀、義理の母は樋口可南子
池田あんださんは2014年5月5日に婚姻届けを出して結婚されました。
旦那は池田晶紀
池田あんださんの旦那さまは池田晶紀(いけだまさのり)さんです。
池田晶紀さんは1978年に横浜で生まれました。写真家として活動していて2006年に写真事務所「ゆかい」を設立しています。
糸井重里さんと池田晶紀さんが一緒な仕事に関わっていたことから、あんださんと池田さんが知り合って結婚までいたったのだと思われます。
糸井あんだで活動していましたが池田晶紀と結婚したことから池田あんだになりました。
子供について
池田あんださんには現在娘さんが1人いらっしゃいます。
池田あんださんのInstagramには顔出しはないですが娘さんの姿が投稿されています。
糸井重里さんの公式Xではお孫さんのことについてたくさんポストされていますが、一番最初にポストされているのが2018年12月なのでおそらく2018年頃に出産されたのだと思われます。
義理の母は樋口可南子
糸井重里さんは1981年に結婚されてその時の奥様との間の娘さんが池田あんださんです。
糸井重里さんはその後、女優の樋口可南子さんと再婚しているので義理の母ということになります。
樋口可南子さんはソフトバンクのCMで家族の母親役で活躍したことで有名な女優さんです。
糸井さんは1981年に結婚して同年に「あんだ」さんが生まれて翌年の1982年に糸井さんと樋口さんの不倫が発覚して記者会見ではお互いが不倫を認めましたが、すぐに離婚はせずに10年以上不倫関係が続いた後に1993年に再婚しました。
糸井重里プロフィールと経歴
続いては糸井重里さんのプロフィールと経歴を見ていきましょう。
プロフィール
・名前:糸井重里(いといしげさと)
・生年月日:1948年11月10日
・出身:群馬県前橋市
・身長:174cm
・血液型、星座:A型、さそり座
・学歴:法政大学文学部
・趣味:料理、釣り、モノポリー
・職業:コピーライター、作家、作詞家、タレント、声優
経歴
小さい頃から漫画が好きで漫画家に憧れていたそうです。
中学時代は日本の小説家、北杜夫さんの作品を夢中に見ていました。また高校時代は文学好きな友人ができアングラ文学にハマったそうです。
法政大学文学部日本文科卒業後、知り合いに勧められ宣伝・広告・環境に関する雑誌「宣伝会議」のコピーライター養成講座に通い、1968年デザイン事務所「サムシング」に就職しました。
1969年栗田工業主宰の制作側の目線で書いた記事TVCFアイデア賞で銅賞、1971年には金賞を受賞しています。この年23歳でコピーライターになり、1973年「サムシング」は倒産しまいたが、そのままフリーランスの道に進んでいます。
1975年ジーンズブランド「WELDGIN」の「このジャンパーの良さがわからないなんて、とうさん、あなたは不幸な人だ!」のコピーで東京コピーライターズクラブ新人賞受賞しました。同じ年にイラストレータの湯村輝彦さんと出会い、1976年、湯村さんと共に作成した「WELDGIN」の広告で東京アートディレクターズクラブ新人賞を受賞しました。
1978年、矢沢永吉さんの自伝本「成りあがり」の構成と編集を手掛け、ベストセラーとなりました。
1979年東京糸井豊里事務所を設立しました。読者投稿ページ「ヘンタイよいこ新聞」を担当し当時の若者を筆頭に人気になりました。1980年には「私はプロレスの味方です」を出版しこれもベストセラーとなり続編「当然プロレスの味方です。」も出しています。
1982年「不思議、大好き。」1983年「おいしい生活」などの西武百貨店のキャッチコピーも有名になりました。
その後も様々なコピーライターとして活躍し「想像力は数百円」「生ビールがあるじゃないか、あるじゃないか。」なども有名なキャッチコピーです。また任天堂とも関わりが深く「MOTHER」の「大人も子供も、おねーさんも」も有名となりました。
ジブリ作品のキャッチコピーも手掛けており、魔女の宅急便では「おちこんだりもしたけど、私は元気です。」もののけ姫では「生きろ。」など、今もなお印象に残るセリフが残っています。
1998年50歳の時インターネットホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」スタート。2016年に事務所名を「株式会社ほぼ日」に変わっており、2024年現在は代表取締役を務めています。
まとめ
今回は「池田あんだは糸井重里の娘【画像あり】結婚相手は写真家の池田晶紀!」と題して記事をお届けしました。
池田あんださんは糸井重里さんの娘で本名はゆうなであることがわかりました。
旦那様は写真家の池田晶紀で2人の間には娘さんが1人いらっしゃいます。義理の母は女優の樋口可南子さんです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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