大河ドラマ第1作目「花の生涯」に出演した昭和を代表する映画スターの佐賀啓二さん。
昭和の大スターでありながら若くして亡くなってしまったので、あまり詳しく知られていないので佐田啓二さんの情報について深堀してみました。
今回は「佐田啓二の息子は中井貴一!死因は運転手の居眠りによる交通事故。」と題して記事をお届けします。
・佐田啓二の息子や妻について
・佐田啓二の死因の真相
・佐田啓二の運転手のその後
是非さいごまで楽しんでご覧ください!
佐田啓二の息子は中井貴一
佐田啓二の息子は俳優として活躍する中井貴一さんです。上の画像のように佐田啓二さんと中井貴一さんの写真を並べると二人とも渋いイケメンで顔の輪郭や鼻の形などソックリですね。
中井貴一さんが産まれて3歳になる前に父の佐田啓二さんは亡くなっているので父親との思いではほとんどないので、父親を求めるために佐田啓二さんの出演する映画を見ていました。
父親がいなくて寂しい思いもしましたがそんな時は母親から「あなたは映画で動いている父親が見れるんだから、世の中であなたが一番寂しいと思うな」と言われたこともあるそうです。
大学生の時に映画の出演を頼まれて最初は断ったのですが「父親の背中が見たい、感じたい。それで自分の将来を決めたい」という思いが原点になり父と同じ俳優になりました。
そして祖母に映画に出ることを話したところ、中井貴一さんが産まれた時に父親の佐田啓二さんは「この子は俺の後取りになるよ」と話していたことを伝えられて、その話を聞いた中井貴一さんはそれから緊張することなく芝居をすることができたそうです。
娘は中井貴恵
佐田啓二の娘は女優、エッセイストとして活躍する中井貴恵さんです。
父親が亡くなった中井貴恵さんはまだ6歳だったので、父のことについてあまり良くしりませんでしたが、生前の父が出演した映画を何本も見て俳優としての父親を知っていきました。
中井貴恵さんは芸能界に興味はく将来はマスコミ関係で働くことを考えていたのですが、早稲田大学の学生だった時に父親の13回忌で出版社の方に声を掛けられて雑誌のグラビアの仕事をして、その後の1978年に映画「女王蜂」のヒロインとして女優デビューをしました。
女優として順調に歩んでいたのですが「佐田啓二の娘」というプレッシャーもあり、期待をしながら演技することがつらいと感じていたこともあるようです。
1983年に結婚後に女優業を休業して、エッセイの執筆の仕事なども行うようになりました。
弟の中井貴一さんが中井貴恵さんと共演することを嫌うので俳優業としての共演はありません。『徹子の部屋』出演時には二人で共演したことがあります。
嫁は中村益子
佐田啓二の妻は杉田益子(旧姓)さんです。
馴れ初めは言葉
佐田啓二さんも妻の益子さんも京都出身ですが、県立横浜第一女子高(現:横浜平沼高校)入学の時から神奈川に住むようになり、松竹大船撮影所前で母親が営んでいた「月ヶ瀬食堂」の看板娘をしていました。
俳優になりたての佐田啓二さんが仕事合間に月ヶ瀬食堂に訪れたときに、佐田さんの言葉使いを聞いた益子さんは「あ!京都の人だな」と思い、それがきっかけで話すようになったのが2人の馴れ初めです。
益子さんは一般人ですが、そのご後に大スターなった佐田啓二さんと10年ほど交際してから結婚しました。
大スターの俳優と食堂の看板娘が出会って結婚することが映画のストーリーのようですね。
女手一つで育てる
2人の子供がまだ幼い時に、佐田啓二さんはこの世を去ってしまったので、妻の益子さんは女手一つで2人の子供を育てました。
一家の大黒柱を失ってしまった益子さんは貯金を取り崩しながら、厳しく中井貴一さんと貴恵さんを育て、特に中井貴一さんには大黒柱として厳しく時には父親のように殴り飛ばして礼儀作法を躾たそうです。
佐田啓二の死因
佐田啓二さんは1964年に38歳という若さで死去されました。佐田啓二さんの死因はなんだったのでしょうか?
死因は運転手の居眠りによる交通事故死
1964年の夏に佐田啓二さんは車で仕事に向かう途中で交通事故で死亡しました。死因は事故で頭を強く打ちつけ脳挫傷により死亡しました。
当初、事故原因は「運転手の無理な追い越しによる交通事故」と報じられていました。
中井貴一さんは後に交通事故の原因が「運転手の居眠り運転による交通事故」であることを知りました。母親の益子さんは、子供たちが人を恨んだりしないように父親が死亡したのを運転手のせいとは言わずに「運命だった」と説明しました。
佐田啓二の運転手のその後
交通事故により佐田啓二さんは亡くなりましたが、運転手は頭を打ち2カ月の重傷を負ったものの命に別状はなかったようです。
運転手がその後どうなったかは調べても詳しい情報は見つかりませんでしたが、妻の益子さんは運転手を責めるようなことはしませんでした。
西川きよしの父も運転手
ウチの親父がタクシー運転手をやっていたんですが、(中井の)お父さんの佐田啓二さんが大阪ロケのときに1カ月、佐田さんのお抱えだったことがあって。
デイリー
大御所お笑いタレントの西川きよしさんの父親が大阪でタクシー運転手をしていたので、佐田啓二さんが大阪ロケで滞在中の1か月間、お抱えの運転手をしたことがあるようです。
まとめ
今回は「佐田啓二の息子は中井貴一!死因は運転手の居眠りによる交通事故。」と題して記事をお届けしました。
佐田啓二の息子である中井貴一さんは父親の背中を追って俳優の道に進みました。女手一つで育てた母親の益子さんは中井貴一さんに対して「父親の足元にも及ばない」と言っていたそうです。
父親に追いつきたい、母親に認められたいという思いで俳優業をこなした中井貴一さんは母親が亡くなる前に「1回だけ頭をなでてくれ」とお願いをしたそうです。
その後「紫綬褒章」を受賞した中井貴一さんは長く生きられなかった父親の分も生きなければと強く思うそうです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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