日本陸上界のスーパースターとして一世を風靡した末續慎吾選手。200mの日本記録保持者であり、世界陸上やオリンピックでメダルを獲得するなど、数々の伝説を築いてきました。
彼の栄光の裏には、アスリートとしての苦悩や、一人の人間としての成長がありました。末續選手の人生を振り返りながら、彼の現在と未来について深掘りします。

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目次
末續慎吾に妻はいない
陸上選手として長年活躍し、今もなお現役として走り続ける末續慎吾選手ですが、現時点で結婚しているという公式な情報はありません。
そのため、彼は独身であると考えられます。かつては、同じ陸上界のスターであるマラソン選手の渋井陽子さんとの熱愛が報じられたこともありましたが、その後、結婚に至ったというニュースはありません。
選手としてだけでなく、指導者や講演活動など、多忙な日々を送る末續選手。彼のプライベートに関する情報は限られており、結婚についても公にはされていません。
末續慎吾のプロフィールと経歴
末續慎吾は、1980年6月2日生まれ、熊本県熊本市出身の日本の陸上選手です。幼い頃から運動能力が高く、小学校時代には全国小学生陸上競技交流大会に出場するなど、その才能の片鱗を見せていました。しかし、中学時代には九州大会100mで2位になるなど、すぐに頭角を現したわけではありません。
高校は地元の九州学院高等学校に進学。ここでは国体の100mで2度の優勝を果たすなど、日本トップレベルのスプリンターへと成長していきます。しかし、高校3年のインターハイ直前にはバスケットボールの授業中に窓ガラスにかかとを突っ込み、15針を縫う大怪我を負いながらも出場。優勝候補だった200mでは予選落ちしたものの、100mでは決勝に進出するなど、その精神力の強さを見せつけました。
大学は東海大学に進学。ここで、後に彼が世界へと羽ばたくきっかけとなる指導者、高野進と出会います。学生時代には両親の離婚や父親との死別という不幸が重なり、経済的に困窮した時期もありました。居酒屋で深夜3時までアルバイトをするなど苦境を乗り越え、2000年にはシドニーオリンピックに日本陸上チーム最年少の20歳で出場。ここから、彼の輝かしいキャリアが始まります。
2003年、末續選手はキャリアの絶頂期を迎えます。5月には100mで自己ベスト10秒03をマーク。6月には日本選手権200mで、今も破られていない日本記録20秒03を樹立しました。そして、8月の世界陸上パリ大会では、200mで3位に入り、短距離種目において日本人初となるメダル獲得という歴史的快挙を成し遂げました。この功績により、彼は「現役世界最速の非ネグロイド」と称され、日本中から大きな注目を浴びます。
しかし、2008年の北京オリンピック後、心身ともに疲弊した末續選手は無期限の休養を宣言。その後、3年間の空白期間を経て復帰を果たします。そして、2017年には9年ぶりに日本選手権に出場。若い選手たちと共にスタートラインに立ち、再び走ることの喜びをかみしめました。
現在もプロ陸上選手として走り続ける彼は、これまでの経験を活かし、指導やメディア出演など多岐にわたる活動を行っています。
末續慎吾の妻に関するその他の情報
続いては末續慎吾の妻に関するその他の情報を見ていきましょう。
元カノは渋井陽子
末續慎吾選手と、女子マラソン界のトップランナーとして活躍した渋井陽子さんは、かつて熱愛の噂がありました。
2002年に週刊誌「フライデー」が、二人が夜のコンビニでデートしている写真を掲載したことがきっかけです。この報道は、同世代のアスリート同士のさわやかな交際として、多くのファンから好意的に受け止められました。
その後、末續選手がテレビ番組で「陸上選手の彼女からもらったネックレスを着けている」と発言したことも、この噂を裏付ける形となりました。
しかし、二人が交際を公表することはなく、その後の進展も報道されていません。二人の熱愛が報じられたのは2002年のことであり、その後長い時間が経っていること、そして二人とも現在独身であることから、現在は破局している可能性が高いと考えられています。
渋井陽子について
渋井陽子さんは、マラソンや長距離走で活躍した日本の陸上選手です。彼女のキャリアと人柄にまつわるエピソードを3つ紹介します。
渋井さんは、高校卒業後すぐに実業団に入り、2001年の初マラソンでいきなり当時の初マラソン世界最高記録を樹立しました。さらに、翌2002年には10000mで30分48秒89という日本記録を樹立。この記録は18年間破られることがなく、彼女が日本女子長距離界に残した偉大な功績の一つです。
数々の輝かしい記録を持つ一方、彼女は度重なる怪我や不調にも悩まされました。特にアテネ五輪の代表選考では、レース中に失速し、代表入りを逃す悔しい経験もしています。しかし、その翌年にはベルリンマラソンで当時の日本歴代2位となる記録を樹立して優勝するなど、逆境を乗り越える強さを見せました。
現役選手として市民マラソンに参加する傍ら、渋井さんは指導者としての道も歩み始めています。2017年からは高校のコーチを務め、2020年からは三井住友海上女子陸上競技部のコーチに就任。選手として競技の普及に貢献しながら、後進の育成にも尽力しています。その明るくユーモラスなキャラクターで、選手たちを導いていることでしょう。
末續慎吾の現在
末續慎吾選手は、現役選手として走り続ける傍ら、さまざまな活動に挑戦し、第二の人生を歩んでいます。
北京オリンピック後、心身の疲労から3年間の休養に入った末續選手は、地元熊本に戻り、陸上とはまったく異なる世界の人々と交流しました。バーのオーナーから「もっと人間を見た方がいい」と言われ、人間観察をする日々を過ごす中で、明確な目標がなくても楽しめる生き方があることを知り、視野が広がりました。
2017年には、伝説的なスプリンター、カール・ルイスの指導者だったトム・テレツコーチに指導を受ける機会に恵まれました。当時84歳だったテレツコーチから「君は速い。もっと速くなる」という言葉をもらい、それが彼の大きな救いとなりました。この指導を通して、彼は無駄な練習を省き、効率的なトレーニング方法を学びました。
テレツコーチの指導を受け、走りの感覚を取り戻した末續選手は、9年ぶりに日本選手権の舞台に戻ってきました。結果は予選落ちでしたが、観客からの温かい拍手に「人に感動や興奮を与えること」が走り続けるモチベーションにつながったと語っています。
2018年からは、自身の走りへの世界観を表現した「EAGLERUN」を立ち上げました。現役選手として活動を続けながら、講演会や陸上教室を通して、走ることの楽しさや奥深さを多くの人に伝えています。また、星槎大学の特任准教授に就任するなど、指導者としての新たな役割も担っています。
今回は「末續慎吾の妻について!元カノの渋井陽子と結婚しなかったのはなぜ?現在のエピソード!」と題して記事をお届けしました。

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