“放浪の画家”山下清を演じ、日本中に愛された芦屋雁之助さん。彼の存在は、日本の喜劇界において欠かせないものでした。私生活では2人の奥さんと出会い、4人の子供がいます。
この記事では彼の家族にまつわる情報を詳しくご紹介します。晩年の闘病や、名作の裏話など、ファンならずとも必見の内容です。

是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
芦屋雁之助の奥さんについて
芦屋雁之助さんは、生涯で2度の結婚をされています。それぞれ異なる経緯で出会ったお二人の奥さんについて、詳しく見ていきましょう。
最初の妻は夏丘梨枝
雁之助さんの最初の結婚は、1960年のことでした。お相手は、大阪の「OSミュージックホール」でダンサーをされていた夏丘梨枝(なつおか りえ)さんです。夏丘梨枝さんの本名は中山良子(なかやま よしこ)です。
この結婚は当時大きな話題になりました。雁之助さん、弟の芦屋小雁さん、そして喜劇俳優の大村崑さんという3組が合同で行った「テレビ結婚式」は、テレビがまだ珍しかった時代に多くの人々の注目を集めました。
しかし、この結婚生活は長くは続きませんでした。お子さんである三男の雁三郎さんが物心ついた頃に、お二人は離婚されています。
再婚相手は大島久里子
最初の奥さんと離婚後、雁之助さんは再婚をされています。再婚相手は、同じくダンサーだった大島久里子(おおしま くりこ)さん。結婚後は西部久里子。彼女は梅田コマ劇場で活躍されていました。
久里子さんは雁之助さんより約20歳年下という年の差カップルで、こちらも話題になりました。雁之助さんが晩年、糖尿病で苦しんでいた際には、献身的に支えていたといいます。雁之助さんにとって、精神的にも大きな支えとなる存在だったようです。
子供
雁之助さんには、最初の奥さんである夏丘梨枝さんとの間に3人の息子が、再婚相手の大島久里子さんとの間に1人の娘がいます。
再婚相手の大島久里子さんとの間に生まれた娘は、西部里菜(にしべ りな)さんです。1976年8月30日生まれで、父と同じく芸能の世界で活躍しています。
8歳の時に父が主演するドラマ『裸の大将』に子役として出演し、芸能界デビューを果たしました。この特別な経験が、彼女のその後の人生に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
また、1987年から1988年にはミュージカル『アニー』で主演を務め、その歌唱力で観客を魅了しました。この経験から音楽への道に進み、アメリカやイギリスへの留学も経験。帰国後は女優として活動するも、自ら作曲を始め、音楽ユニット「indigo blue」を結成しました。
雁之助さんの大ヒット曲「娘よ」は、実はこの里菜さんのことを歌ったものです。雁之助さんが45歳の時に生まれた娘を、いかに愛おしく思っていたかが伝わってきますね。父の死後には、追悼の想いを込めて「コバルトブルー」という楽曲も制作しています。
現在は本名である西部里菜としてソロで活動し、結婚して一児の母となった今も、温かい歌声を届けています。
↓下の記事には西部里菜さんの詳しい記事や画像がたくさんあります。

最初の妻・夏丘梨枝さんとの間には、3人の息子がいます。
長男は光矢さんで、母親の姓を継いで中山光矢として紹介されている資料もあります。雁之助さんが亡くなられた後、樹木葬のお墓を訪れるエピソードも残されています。
三男は俳優の芦屋雁三郎(あしや がんざぶろう)さんです。1967年5月16日生まれで、元々は塩の屋きくおという芸名で活動されていました。
両親が物心つく前に離婚したため、父との思い出はほとんどなく、長年「芦屋」の芸名を名乗ることに複雑な思いを抱えていたそうです。
しかし、松竹新喜劇時代の師匠や、雁之助さんの再婚相手・久里子さん、弟の小雁さんなどから後押しを受け、2018年に「芦屋雁三郎」を襲名されました。現在は、俳優としてドラマ『スカーレット』に出演したり、YouTubeチャンネル「雁三郎の住宅探訪」を開設するなど、多方面で活躍されています。
次男については、残念ながら詳しい情報は見つかりませんでした。
芦屋雁之助の奥さんに関するその他の情報
ここからは、雁之助さんの奥さんやご家族以外にも、知っておきたいプロフィールやエピソードをご紹介します。
プロフィールと経歴
芦屋雁之助(本名:西部 清)さんは、1931年5月29日に京都府京都市で生まれました。72歳で亡くなられるまで、日本の喜劇界を牽引しました。
実家は友禅染の染物屋を営んでいましたが、芸事が好きだった父親の影響で、雁之助さんも幼い頃から芸の世界に触れていました。
京都市立朱雀中学校を卒業後、高校には進学せず芸人の道へ。18歳の時に弟の芦屋小雁さんとともに漫才師に弟子入りし、その後はコントや喜劇俳優として活躍しました。
テレビ黎明期の公開コメディー番組『番頭はんと丁稚どん』で人気を獲得し、喜劇役者としての地位を確立しました。その後は活動拠点を東京に移し、時代劇などにも出演して演技派俳優としての幅を広げていきました。
1979年には、森光子さんと共演した舞台**『おもろい女』**で芸術祭大賞を受賞するなど、舞台でも高い評価を得ています。
雁之助さんは、2004年4月7日に鬱血性心不全のため、京都市内の病院で72歳で亡くなられました。
晩年は大食いがたたり、糖尿病を患っていました。病状は1994年頃から悪化していったようです。しかし、雁之助さん本人は「山下清の役作りのために体重を落とすわけにはいかなかった」と語っていたといいます。芸に対する純粋な思いが、私生活の健康よりも優先されたのかもしれません。
山下清
雁之助さんの代名詞ともいえるのが、ドラマ『裸の大将放浪記』の山下清役です。
もともと、劇団の座付き作家だった藤本義一さんに「風貌が画家の山下清に似ている」と指摘されたことがきっかけでした。これをヒントに書かれた舞台劇が大評判となり、1980年にはテレビドラマ化され、1997年まで17年間にわたる大人気シリーズとなりました。
実は、雁之助さんの本名は「西部 清(にしべ きよし)」。山下清と同じ「清」という名前を持つことは、運命的な偶然だったのかもしれませんね。
兄弟
雁之助さんには、6人の兄弟がいました。
喜劇俳優の芦屋小雁さんと芦屋雁平さんも、雁之助さんの弟にあたります。雁之助さんは6人兄弟の4番目でした。
長男は芸人の道には進まず、京都市電の運転手をされていたそうです。次男と三男については詳しい情報が残っていません。
弟の小雁さんとは、若き日に「若松ただし・きよし」という漫才コンビを組んだり、『劇団・笑いの王国』や『喜劇座』を共に立ち上げたりと、芸人として、また人生のパートナーとして切磋琢磨し合いました。特に喜劇座旗揚げ時には、東京の呉服屋で働いていた弟の雁平さんを呼び寄せ、「芦屋三兄弟」として活躍しました。
今回は「芦屋雁之助の奥さん【画像あり】最初の妻は夏丘梨枝で再婚相手は大島久里子!」と題して記事をお届けしました。

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