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門倉有希の旦那は金田大【監禁失踪事件】の真相を解説!

門倉有希

第6回NHK新人歌謡コンテストグランプリ受賞第47回NHK紅白歌合戦に出場などの輝かしい経歴のある演歌歌手の門倉有希さん。

門倉有希さんは監禁事件に巻き込まれたことがありその影響で一時期芸能界から遠ざかっていた時期があります。

また門倉有希さんをネットで調べると「門倉有希 旦那」と言う単語でたくさん調べられています。旦那さんはどんな人か?と気になっている人が多いようです。

今回は「門倉有希の旦那は金田大【監禁失踪事件】の真相を解説!」と題して記事をお届けいたします!

Sakura
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是非さいごまで楽しんでご覧ください!

門倉有希に旦那は金田大

門倉有希さんの旦那様は金田大(かねだまさる)さんです。

門倉有希さんは2019年、乳がんの発覚を機に、長年交際していた金田大さんと結婚しました。

金田さんは門倉さんの所属事務所「門倉有希音楽事務所」の代表取締役でもあり、病気の闘病期間中は公私ともに支え合う存在でした。

2021年には正式に事務所代表に就任し、門倉さんの復帰を目指して二人三脚で歩んでいたとされています。結婚生活は長くはなかったものの、最期は金田さんに見守られながら旅立ち、葬儀では喪主も務めました。

長年独身キャラとして親しまれていた門倉さんですが、晩年には深い絆で結ばれた伴侶と共に過ごしていたようです。

プロフィールと経歴

出典:Twitter

門倉有希のプロフィール

名前:門倉有希 (かどくらゆき )

本名:村越充恵 ( むらこしみつえ)

出身: 福島県横須川市出身

生年月日:1973年12月1日

血液型:A型

身長: 155cm

所属:門倉有希音楽事務所

所属レコード会社: ビクターエンターテインメント

門倉有希の経歴

幼い頃から歌が大好きだったおじいちゃんの影響を受けて常に歌っているお子様でした。3歳の時に西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」を始めて歌いました。

門倉有希さんの実家は酒屋でしたが酒屋の倉庫両親からもらったカラオケセットでよく歌っていたそうです。

高校は学校法人石川高等学校。在学中は野球部のマネージャーをしていて、在学中に甲子園出場経験もあります。

(※1)歌手を目指し数々のオーディションを受けていましたがなかなか結果を出せない中「これが最後」と決心して受けた1990年17歳の時に日本コロムビアの新人歌手オーディションを受け、全国大会まで行ったものの惜しくも落選。

落選して気落ちしていましたが、門倉有希に光るものを感じたプロデューサーに声を掛けられレッスンを受けることになりました。その時声をかけたのは美空ひばりの総合プロデューサーをしていた境弘邦です。

地道にレッスンを経たのちの1994年に「鴎・・・カモメ」でデビュー。(※2)1996年には「第6回 NHK新人歌謡コンテスト」に出演して、「女の漁歌」でグランプリ受賞。同年にデビュー3年目にして第47回NHK紅白歌合戦に初出場

1998年にリリースされたノラ」は約80万枚のロングセラーとなっています。2003年にはポップス調の「Jがヒット。2016年には元NHKアナウンサーの宮本隆治とデュエットで、三木たかしの未発表曲「恋猫」をリリース。

2019年9月、乳がんを患い治療を受けたことを告白。

2024年に死去、死因は乳がん

演歌歌手の門倉有希(本名・金田充恵)さんが2025年6月6日午前5時半、乳がんのため逝去されました。

50歳でした。所属事務所が翌7日に発表し、通夜は6月12日、告別式は13日に東京都大田区の臨海斎場で執り行われ、喪主は夫の金田大氏が務めました。

2019年2月に乳がんが発覚して以降もステージに立ち続けましたが、2022年末からは治療に専念。今年はデビュー30周年の節目でしたが、復帰を果たすことなく永眠されました。

監禁事件の真相

1994年にデビューした門倉有希さんは半年後の「KBC新人音楽祭」の最優秀新人賞に内定していたのですが、それをすっぽかしてしまいました。そのまま仕事に現れなくなり失踪騒動に発展しました。

事務所は門倉有希さんの失踪の理由として、仕事に疲れて交際相手の彼氏の自宅で休養していた。と説明しました。

この事務所の発表の「交際相手の元で休養」と言う部分を切り抜いて「男と駆け落ちした」としてマスコミからバッシングを受けることになりました。

しかしこの門倉有希さんの失踪騒動の真相が後に明かされることになりました。

22年後に真相が告白される。

騒動から22年後の2016年4月15日に放送されたテレビ番組「爆報!THEフライデー」の中で失踪していたのではなく、実は「監禁」されていたことが激白されました。

中学生の頃からいろいろなオーディションを受けていた門倉有希さんは中学3年生の時に受けたオーディション会場で同じ年齢の15歳の少年と出会いました。

同じ夢を抱く二人は意気投合して4年間仲を育み続けて彼氏となり、高校を卒業後に上京して同棲を始めました。

同棲してから一年後の1994年、門倉有希さんはデビューが決まりデビュー曲が異例の20万枚の大ヒットとなりました。

このことをきっかけに彼氏の性格は豹変していきました・・・

同じ夢を抱いていた二人ですが、門倉有希さんが先にデビューして曲は大ヒットして差は開くばかり、彼氏には嫉妬心が芽生え、遠い手の届かない存在になってしまうことを恐れて次第に束縛していくようになりました。

門倉有希さんの仕事量が増えるのと比例して彼氏の束縛はひどくなり、やがてはDVを受けるまでになりました。

そしてついに1994年10月1日に仕事に行こうとする門倉有希に対して彼氏は「仕事に行くな!」と包丁で脅してそのまま恐怖で家からでれなくなってしまい監禁されることとなり、KBC新人音楽祭をすっぽかしてしまうことになりました。

仕事現場に来ないことを心配したマネージャーは自宅に電話をしましたが、電話に出ることは許されませんでした。

マネージャーは自宅まできてインターフォンを鳴らしましたが、包丁を突き立てられている門倉有希さんは恐怖で助けを求めることができずにマネージャーは帰っていきました。

そこから約一週間、彼氏の監禁生活が続き何回もマネージャーが訪れましたが、助けを求めることができませんでした。

3日目に隙を見つけて外に出ましたが途中で捕まり引き戻されました。

7日目に彼氏が外出したチャンスで逃げ出すことができて公衆電話から家族に助けをもとめて逃げることができました。

両親からは被害届を出すように勧められたのですが、歌手としてのイメージが傷ついてしまうことを恐れて被害届はだされませんでした。

結果的にこの監禁事件は公になることはなく、マスコミには「失踪」「駆け落ち」と報道されたままで、22年たってようやく真相が語られることになりました。

復帰して紅白出場

監禁のストレスから拒食症になった門倉有希さんは体重57キロから39キロまで18キロも激減してしまいました。

仕事には復帰出る状態ではなく半年間実家で休養していました。事務所の社長は定期的に門倉有希さんのもとに顔を出して、事務所に届いている門倉有希さん宛のファンレターを持ってきました。

ファンレターには「有希さんの歌を聴いて希望がわいた」「頑張って」など励ましの言葉がたくさん書かれていて、次第に心も復活してきたときに事務所の社長に「もう一度歌うか?」と聞かれて「歌う」と門倉有希さんは返しました。

それから約2年間全国にお詫び行脚を行って復帰して、1996年には紅白出場するまでに返り咲きました。

捨て猫との出会い

出典:Instagram

現在門倉有希さんは9匹の猫と暮らしています。

全国お詫び行脚中に行った地方のコンサート会場で捨てられている子猫を見つけた門倉有希さんはその猫を連れて帰り「リボン」と名前をつけて飼うことになりました。

とても可愛がっていたのですが3年後に病気で亡くなってしまいました。

リボンが病気を患っている異変に気が付かなかった門倉有希さんは次に猫を飼うときはもっとちゃんと育てることができるように「小動物介護士」「小動物看護士」「ドックシッター」の資格をとりました。

現在では猫専門のペット共生型マンションで9匹の猫と暮らしています。

まとめ

今回は「門倉有希の旦那は金田大【監禁失踪事件】の真相を解説!」と題して記事をお届けしました。

・門倉有希の旦那は金田大

・「駆け落ち」と報道されたが真相は「監禁」されていた。

・2024年6月に死去

Sakura
Sakura

最後までお読みいただきありがとうございました!

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