走攻守を兼ね備えた名選手で西武やダイエーで活躍後にソフトバンクの監督も務めた元プロ野球選手の秋山幸二さん。
今回は「秋山幸二の妻の死因は?前妻は朋美【2人の妻の若い頃の画像あり】」と題して記事をお届けします。
・秋山幸二の妻の死因。
・前妻について【画像あり】
・息子や娘について
是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
秋山幸二の妻の死因
秋山幸二の妻の千晶さんは2014年12月にこの世を去りました。千晶さんの死因はなんだったのでしょうか?
死因は神経膠芽腫(しんけいこうがしゅ)
千晶さんは脳腫瘍を患い3年間に及ぶ闘病生活の末に55歳の若さで亡くなりました。脳腫瘍の中でも悪性度の高い神経膠芽腫が死因になります。
秋山幸二さんは千晶さんの闘病時はソフトバンクの監督をしていました。2014年はソフトバンクを日本一に導いたあとに、千晶さんの看病のために退任しました。
妻の千晶さんについて【馴れ初め】
秋山幸二さんの妻は片平千晶さんで、1994年に秋山幸二さんと結婚して秋山千晶になりました。年齢は秋山幸二さんの3歳年上です。
宮崎県出身で高校卒業後に上京して看護師として働いていましたが数年で退職してその後は麻布十番のスナックで勤めていました。
お店に来店した秋山幸二さんの接客をしたことで知り合い千晶さんの虜になり、出会った時にはまだ秋山幸二さんには前妻がいたのですが離婚後に千晶さんと再婚しました。
下の画像が結婚した時期のツーショットになります。秋山さんが虜になるのも頷けるほど綺麗ですね。
続いては秋山幸二さんの前妻について見ていきましょう。前妻の画像もあります。
前妻の名前は明美
秋山幸二さんは1986年に前妻である最初の奥さんと結婚しました。年齢は秋山幸二さんの3歳年下です。
明美さんとの馴れ初め
古い資料に載っていた記事には前妻の名前は小林明美さんです。明美さんが百貨店の「丸井」所沢店で勤務していた時に秋山さんがスーツを買いに行きそこで接客してもらった明美さんに一目惚れして交際することになったのが2人の馴れ初めです。
下の画像は交際当時に秋山幸二さんのマンションから早朝に出てくる明美さんの姿がスクープされた一枚です。明美さんの画像を探してこの一枚だけ見つかりましたがとても綺麗な女性ですね。
秋山幸二さんと明美さんは1986年に結婚して1994年に離婚しました。
離婚理由は「明美さんのお金遣いが荒く、家事をしなかった」「秋山幸二の不倫が原因」など媒体によって様々な理由が書かれており正確な理由はわかりませんでした。
3歳年下の明美さんとは上手くいかなかったので、3歳年上の姉さん女房になる千晶さんと再婚したのかもしれませんね。
続いては秋山幸二さんの息子や娘について見ていきましょう。
秋山幸二の子供
秋山幸二さんには最初の妻の明美さんとの間に2人の息子、再婚相手の千晶さんとの間に娘1人と息子1人の4人のお子様が誕生しています。
秋山幸二前妻の子供について
前妻の明美さんとの間の2人の息子については詳しい情報は見つかりませんでしたが、1994年の離婚当時は小学校1年生と幼稚園だったようなので、現在は2人とも30代になっています。
息子さん2人には成人するまでの間、毎月1人20万円の養育費が支払われることになったようです。
千晶さんとの息子と娘について
再婚相手の千晶さんとの間には1996年に長女の真凛さんを授かり、2001年には長男の晃輝さんを授かりましたが晃輝さんは生後間もなく亡くなってしまいました。詳しい死因などは公表されていません。
娘の真凛は現在タレント
長女の真凛さんは1996年12月27日に福岡で生まれ、中高一貫の沖学園でプロゴルファーを目指していました。
高校生の頃に母親の千晶さんが病気になり看病に専念するためにプロゴルファーの道を断念しました。
5歳から英語を習っていて、15歳からは独学で韓国語も学んでいたので互角も堪能で大学は上智大学の国際教養学部に進学しました。タイガーウッズの通訳をしたり、Kポップアーティストの通訳経験もあります。
大学4年時に芸能事務所「生島企画室」に所属して現在はスポーツキャスター、タレントとして活躍しています。
まとめ
今回は「秋山幸二の妻の死因は?前妻は朋美【2人の妻の若い頃の画像あり】」と題して記事をお届けしました。
秋山幸二さんの妻の千晶さんは神経膠芽腫が死因で2014年に亡くなりました。千晶さんとの間には2人のお子様が誕生しましたが、長男は生後間もなく死去しています。長女の真凛さんは現在芸能活動をされていることがわかりました。
千晶さんの前に前妻の明美さんと結婚していて、明美さんとの間にも2人の息子さんがいることがわかりました。
最後までお読みいただきありがとうございました!
良かったら他の記事もご覧ください。