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浜圭介は韓国人?若い頃はあの人と同棲していた!【意外な関係】

浜圭介

『雨の慕情』『終着駅』『舟唄』など数々の昭和のヒット曲を世の中に送り出してきた作曲家の『圭介』さん。

浜圭介さんをインターネットで調べると「韓国人」なの?と疑問を持たれている方が多いことがわかりました。

今回は「浜圭介は韓国人?若い頃はあの人と同棲していた!【意外な関係】」と題して記事をお届けいたします!

Sakura
Sakura

是非さいごまで楽しんでご覧ください!

浜圭介は韓国人なの?

『浜圭介』で検索すると検索候補に「韓国」の文字が出てくるため浜圭介さんが韓国人なのでは?という噂があるようです。

浜圭介さんは韓国人なのでしょうか?

結論

浜圭介さんは韓国人ではありません!

本名が『金野』であるため在日韓国人の通名と勘違いされた説や、歌手の桂銀淑(ケー・ウンスク)さんの才能を見出して韓国から日本に連れてきて大ヒットさせたことなどから韓国籍なのではと噂がでたようです。

続いては浜圭介さんのプロフィールや経歴を見ていきましょう。

浜圭介のプロフィールと経歴

プロフィール

本名:金野孝(こんのたかし)

生年月日:1946年4月8日生まれ

出身:旧満洲国

星座:おひつじ座

職業:作曲家・歌手

経歴

浜圭介さんは終戦直後に旧満州国の収容所で生まれました。1歳の時に日本にひきあげて幼少期は青森、北海道で過ごしました。

15歳の時にダンスホールでアルバイトを始めてその時に人前で歌を披露し歌う喜びに目覚めたことで歌手を目指して上京しました。

上京後は森山加代子の付き人となり、その後1964年に牧宏次の芸名で『波止場のロック』をリリースしました。

しかしその後ヒット曲に恵まれずに鳴かず飛ばずで時間が経過し、一度諦めて青森に戻りました。

1966年に大木賢として再デビューするもヒットせず、1968年に浜圭介として作曲活動を始めました。

浜真二の芸名で『おんな道』でデビューして約30万枚を超えるヒットになるもその後はヒットせずに歌手を諦めてその後は作曲家として1971年に『終着駅』が大ヒット、1980年には作曲した『雨の慕情』で第22回レコード大賞で大賞を受賞しました。

浜圭介の妻

出典:Twitter

浜圭介の妻は奥村チヨ

浜圭介さんの奥さんは元歌手の奥村チヨさんです。奥村チヨさんの簡単なプロフィールや二人の馴れ初め、夫婦仲について見ていきましょう。

奥村チヨのプロフィール

プロフィール

本名:金野智代(こんのちよ)

出生名:奥村智代(おくむらちよ)

生年月日:1947年2月18日生まれ

出身:大阪府池田市

出生地:千葉県野田市

身長:158cm

職業:歌手

浜圭介さんと奥村チヨさんはお互いに歌手同士だったので仕事現場で何回か顔を合わす仲でした。

奥村チヨ
奥村チヨ

おはようございます。

浜圭介
浜圭介

お疲れ様です

仕事現場で顔を合わせても「おはようございます」「お疲れ様です」と言葉を交わす程度でしたが、浜圭介さんが作曲して奥村チヨさんが歌ってヒットした『終着駅』がきっかけで2人の仲は深まりました。

馴れ初め

『終着駅』がヒットしたことを喜んだ奥村チヨさんのお母さんが、浜圭介さんにお礼がしたくて食事に招待いたいということになり食事をすることになりました。

もともと結婚願望のなかった浜圭介さんでしたが、食事後に酔いがまわってしまいソファで横になっている浜圭介さんに対して奥村チヨさんが冷たいおしぼりをそっと額にのせたときに浜圭介さんに結婚願望が芽生えて交際に至り3年後の1974年に結婚しました。

夫婦仲

浜圭介さんと奥村チヨさんが結婚して50年近くになりますが、二人はほとんどケンカもせずに夫婦仲はとても良いようです。

奥村チヨさんが一人でしゃべっていて、それを浜圭介さんが聞いていつも優しく笑っているのが長年仲むつまじく暮らしていける秘訣のようです。

子供は?

浜圭介さんと奥村チヨさんの間にはお子様はいないようで、二人だけで仲良く暮らしているようです。

奥村チヨさんの親戚関係

奥村チヨさんの姪には女優の麻生祐未さんがいらっしゃいます。麻生祐未さんの本名が奥村由美なので奥村チヨさんの兄弟の娘が麻生祐未さんということでしょうね。

関連記事:麻生祐未が韓国人という噂はデマ?現在は息子が独立して1人暮らし! 

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若い頃の同棲相手

出典:Twitter

浜圭介さんは20歳くらいの頃に北原照久さんと一緒の家で暮らしていました。

北原照久さんと言えばテレビ東京の『開運!なんでも鑑定団』で鑑定士としてレギュラー出演をしていて、日本の玩具コレクターの第一人者として有名な方です。

北原照久さんの実家は喫茶店を営んでいたようで、半年ほど北原さんの実家に浜圭介さん住んでいて、年の近い二人はギターを弾きながら音楽の話をしていたようです。

浜圭介さんは下積み時代で売れていなかったので苦しんでいたのですが北原さんに対して

浜圭介
浜圭介

テルちゃん。絶対オレ作曲家になる

と語っていて、その後見事に作曲家として成功していったことを見ていたのを見ていたので北原さん自身も「頑張ってやれば夢は叶うんだ‼」とお手本にして玩具コレクターとして世界的に知られる第一人者として成功しました。

まとめ

今回は「浜圭介は韓国人?若い頃はあの人と同棲していた!【意外な関係】」と題して記事をお届けしました。

浜圭介さんは韓国籍ではなく日本人で、妻の奥村チヨさんとは今でもとても仲良い夫婦で、若い頃は北原照久さんと一緒に住んでいたことがあることがわかりました。

Sakura
Sakura

最後までお読みいただきありがとうございました!

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1 COMMENT

Yoshihar Endou

浜圭介先生、御無沙汰してます。
お元気でチョさんと仲良くお変わりなくお暮らしされ安心致しました。
僕が先生の名前 金野 孝を戴
✨北野 たかし を戴、東芝レコードから星の口笛✨作曲 浜圭介 
        作詞 千家かずや
1994年9月5日東芝レコードからデビューさせて戴きました。その後、テイチクレコード会社へ移籍、阪神タイガース掛布雅之選手の応援歌GOGO掛布で再デビューさせて戴きました。126万枚のヒット曲となりました。浜先生有り難う御座いました。先生との出会い無ければ歌手の世界には入る事は有りませんでした。
有り難う御座いました。
先生、これから益々御発展と長寿を願い失礼致します。
        遠藤 良春

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