昭和から平成をこえて令和の現在でも国民的人気を誇る「サザエさん」の作者で知られる長谷川町子さん。
今回は「長谷川町子の死因は心不全!姪はワカメちゃんのモデルになった長谷川たか子。」と題して記事をお届けします。
・長谷川町子さんの死因
・プロフィールや経歴
・姪の長谷川たか子さんについて
是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
長谷川町子の死因
1992年5月27日に長谷川町子さんはこの世を去りました。長谷川町子さんの死因はなんだったのでしょうか?
死因は心不全
長谷川町子さんの死因は冠動脈硬化症による心不全です。
自宅の窓を閉めようとしたときに机から転落して全身を強く打ち、その痛みで体調を崩して徐々にろれつが回らなくなるほどに体力が低下していたそうです。
死去の1週間前には医師から脳血腫の診断を受けましたが、長谷川町子さん自身が治療を拒否しています。
生前、姉の毬子に「70歳を過ぎて体が悪くなったら入院しない。手術はしない。万が一の時は家族による密葬と納骨をすませるまでは公にしないで欲しい」と遺言を残していたので、納骨式が終わった1か月後に公表されました。
長谷川町子さん死去後の1992年7月28日に「家庭漫画を通じて第二次世界大戦後の日本社会に潤いと安らぎを与えた」ことが評価されて国民栄誉賞が授与されました。
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遺骨盗難事件
死去した翌年の1993年に長谷川町子さんのお墓から遺骨が盗まれる事件がおきました。
1993年3月25日、長谷川町子さんの親族の元に「長谷川町子さんの遺骨を盗んだこと。返すための金銭要求」が書かれている脅迫状が骨壺の写真といっしょに郵送で届きました。
遺骨の確認をしたところ本当に遺骨が盗まれていたので、すぐに警察に通報をして被害届を出しました。遺骨盗難事件の情報はマスコミにつかまれて報道されることになります。
犯人からは2000万円の金銭の要求があったとされています。実際に支払ったかどうかは公表されていません。
4月5日に犯人からJR渋谷駅山手線ホームのコインロッカーの鍵が届き、警察が確認したところロッカーから遺骨が発見されて無事親族の元に戻りました。
その後捜査は続けられましたが結局犯人はみつかりませんでした。
長谷川町子のプロフィールと経歴
長谷川町子さんのプロフィールと経歴を見ていきましょう。
長谷川町子のプロフィール
・名前:長谷川町子(はせがわまちこ)
・生年月日:1920年1月30日
・没年月日:1992年5月27日(72歳没)
・出身:佐賀県生まれ、東京育ち
・称号:1982年紫綬褒章、1990年勲四等宝冠章、1992年国民栄誉賞
・職業:漫画家
・代表作:サザエさん、いじわるばあさん、エプロンおばさん
長谷川町子の経歴
長谷川町子さんの生い立ちと経歴を見ていきましょう。
佐賀県で生まれる
長谷川町子さんは大正9年1月30日に佐賀県で生まれました。父・勇吉、母・貞子、姉・毬子、妹・洋子の5人家族です。
父の仕事の関係で福岡県に移り住み福岡の小学校に通いました。当時の友人は長谷川町子さんのことを「お転婆で茶目っ気たっぷりの性格」と表現しています。
3歳の頃から大量に絵を描くようになり、小学校1年生の時には指の1本1本まで細かく綺麗に描かれた花嫁の絵を描くほどの画力があったようです。
13歳の時に父親が亡くなり、14歳の時に一家そろって状況しました。
15歳で漫画家デビューした天才少女
当時大人気だった漫画「のらくろ」の原作者の弟子になりたいと長谷川町子さんが話していたのを聞いた母親は姉の毬子さんに「田川先生の家に連れていきなさい」と命じて、毬子さんと町子さんはアポなしで荻窪にあった先生の自宅を訪ねました。
突然の訪問だったので「忙しいので会えない」と門前払いされましたが、「九州からはるばる出てきました」としつこくお願いをして最終的に書斎に通されました。
長谷川町子さんのスケッチブックを見た先生は「いいよ。弟子にしましょう」と弟子入りを許諾して翌日から弟子になりました。
弟子入り後はめきめきと頭角を現して15歳の時に「天才少女」の触れ込みで日本初の女性漫画家としてデビューしました。
サザエさん誕生
第二次世界大戦が始まり、24歳の時に一家で福岡に疎開しました。福岡の西日本新聞社の「夕刊フクニチ」から漫画の連載を依頼されて初めて「サザエさん」が誕生しました。
妹と一緒に自宅近くの海辺を散歩しているときに海にちなんだ名前や家族構成を思いついて「サザエさん」ができたそうです。
「夕刊フクニチ」連載のサザエさんはマスオさんが登場してサザエと結婚したところで一旦連載を終了して、その後一家で再び上京しました。
上京後に家族で出版社の「姉妹社」を設立して1947年に「サザエさん」第1巻を出版しています。
サザエさんの大ヒット、アニメ放送開始
最初にB5判で出版した「サザエさん第1巻」の売れ行きは乏しく、「本屋に置きづらい」という理由で大量に返品され大ピンチに陥りました。
母親の貞子さんは諦めずにお金を借りて本のサイズを変更して出版したところ今度は1月で17万部売れる大ベストセラーになり、最初に返品された本にも再び注文が入り完売しました。
サザエさんは第68巻まで刊行される大ロングセラーになりました。
昭和44年10月5日にはフジテレビで「アニメサザエさん」の放送が開始され、昭和・平成をこえて令和の現在でも放送が続く国民的人気アニメになっています。
いじわるばあさん連載スタート、その後
善良なキャラクターのサザエさんの連載に飽きていた長谷川町子さんは1966年から「いじわるばあさん」の連載をスタートさせました。
ブラックユーモア路線の「いじわるばあさん」は自分の地のままで良いから気楽に描けたそうです。
1967年の47歳の時には胃潰瘍で胃の5分の4を摘出する手術を受けましたが、実は胃潰瘍ではなく胃癌でした。長谷川町子さんは「癌になったら自殺する」と家族に話していたので、胃癌であったことは生涯知らされることはありませんでした。
1974年で「サザエさん」の連載は休載となりその後再開されることはありませんでした。
1978年には「サザエさんうちあけ話」が連載されて、これが原作となり姉の毬子さんが主役のNHK朝の連続テレビ小説「マー姉ちゃん」が1979年に放送されました。
ワカメちゃんのモデルは姪の長谷川たか子
「サザエさん」に登場するワカメちゃんは長谷川町子さんの姪の長谷川たかこさんがモデルになりました。
長谷川たかこさんについて
長谷川町子さんはおかっぱ頭の長谷川たかこさんをワカメちゃんのモデルにしましたが、長谷川たかこさんの性格はお転婆だったので、カツオのモデルになることも多かったそうです。
下の画像は長谷川町子さんと幼少期のたかこさんの写真ですが、本当にサザエさんとワカメちゃんみたいですね。
磯野ワカメちゃんのモデルになった長谷川たかこさんは現在フランスのパリで生活をされています。
長谷川町子さんがフランス旅行に行くときに一緒についていったことがきっかけで、フランスが好きになりパリで住むことを決めました。
上の画像は20代前半の長谷川たかこさんです。アニメでは永遠に小学生のワカメちゃんが、実際に大人に成長したように感じられて感慨深いです。
長谷川たかこさんはフランス人のアラン・ロワイエさんと結婚しました。子供は長男と長女の2人です。猫も2匹飼っているのですがなんと一匹の名前が「タマ」なのでサザエさんに出てくるタマが連想されて可愛いですね。
長谷川たかこさんと旦那様
長男との写真
長女との写真
猫のタマ
まとめ
今回は「長谷川町子の死因は心不全!姪はワカメちゃんのモデルになった長谷川たか子。」と題して記事をお届けしました。
長谷川町子さんは1992年5月27日にこの世を去り、死因は冠動脈硬化症による心不全でした。
幼い頃から絵を描くことが好きだった長谷川町子さんは15歳で日本で最初の女性漫画家としてデビューをする天才少女でした。
その後「サザエさん」が大ヒットして「アニメサザエさん」も現在まで続く国民的アニメになり、亡くなる5年前まで現役でした。
昭和から令和の現在でも人々の心を明るくしてくれる「サザエさん」を造ってくれたことは本当に国民栄誉賞を受賞するに相応しい功績ですね。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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