昭和の青春スターとして人気を集めた歌手でありながら、引退後は宝飾デザイナー・宝石鑑定士として第二の人生を歩んだ元歌手の梶光夫さん。
今回は「梶光夫の家族について調査!妻は裕子で息子は武史【ジュエリーデザイナー】」と題して記事をお届けします。

是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
梶光夫の家族について
梶光夫さんは既婚者で妻と息子2人、娘1人の5人家族です。それぞれ掘り下げて見ていきましょう。
梶光夫の妻
梶光夫さんは1976年時に妻の「裕子」さんと結婚しました。梶光夫さんは当時32歳で妻の裕子さんは12歳年下の20歳でした。
妻の裕子さんは一般人なのであまり情報は公開されていませんが、他の方のブログには梶光夫さんと奥さんと一緒に食事にいったことの記載があるので、夫婦関係は良さそうです。
お昼から梶光夫さんと梶さんの奥さんと代官山でお昼をご一緒に
梶光夫の子供
梶光夫さんと妻の裕子さんの間には息子さんが2人、娘さんが1人いらっしゃいます。
上の写真が梶光夫さんの長男の写真です。下の写真が長男と長男の奥さんの写真です。
次男の梶武史さんは1979年2月24日生まれで、ジュエリーデザイナーとして活躍しています。
上の画像が梶光夫さんの長女の写真です。とても綺麗な方ですね。
梶光夫の家族以外のその他の情報
続いては梶光夫さんに関するその他の情報を見ていきましょう。
梶光夫のプロフィールと経歴と現在
・芸名:梶光夫(かじみつお)
・本名:梶芳道(かじよしみち)
・生年月日:1944年9月9日
・年齢:80歳(2025年現在)
・職業:宝飾デザイナー、元歌手、宝石鑑定家
梶光夫(かじ みつお/本名:梶 芳道)は1944年9月9日、大阪府大阪市に生まれました。家業は時計・宝石・貴金属を扱う「スイス時計店」で、彼はその長男として育ちました。
当初は家業を継ぐことを期待されていましたが、芸能界への夢を抱き、1963年、19歳のときに日本コロムビアから「黒髪」で歌手デビュー。翌1964年には「青春の城下町」が大ヒットし、青春スターとして一躍注目を浴びました。俳優としてもテレビドラマや映画に出演し、「若いいのち」などで人気を集めました。
しかし、父親との約束により芸能活動は5年間と決めており、約束どおり1970年に歌手を引退。その後は家業に戻り、宝石・貴金属の道を本格的に歩み始めます。
1972年にはアメリカのG.I.A(米国宝石学会)に留学し、G.G(グラジュエート・ジェモロジスト)の資格を取得。1975年には「日本ダイヤモンド鑑定所」を設立し、宝石鑑定家としての活動をスタートさせました。
1983年にはクラシックとモダンを融合させた「エマーユジュエリー」を発表し、ジュエリーデザイナーとしての名声を確立。以後「世界遺産ジュエリー」「名作映画ジュエリー」など、独創的かつスケールの大きな作品群で日本の宝飾界に多大な影響を与え続けています。著書も多数あり、研究家・コレクターとしても評価が高く、ジュエリー界の第一人者として国際的にも知られています。
梶光夫と高田美和
2025年現在、ネットで「梶光夫 妻」で検索すると歌手の高田美和さんの名前が出てきますが、これは間違いになります。
1965年に梶光夫さんと高田美和さんが出したデュエット曲がヒットしたことから注目を集めて、シングル4曲、アルバム1枚出しているので、2人でそろって写っている画像も多く夫婦と勘違いされてりるのかもしれません。
学歴
梶光夫さんは大阪出身で大阪の高校を卒業後に大学は日大経済学部に進学しています。また1972年にはアメリカG.I.A.(米国宝石学会)に留学して宝石学とジュエリーデザインについて学んでいます。
再婚
梶光夫さんについてインターネットで調べると「梶光夫 再婚」のキーワードでたくさん検索されていますが、梶光夫さんが結婚したのは裕子さんだけで、離婚もされていませんし再婚もしていません。
梶光夫さんの妻の間違った情報で高田美和さんの名前が出てきますが、高田美和さんは離婚されていて高田美和さんが再婚で検索されているので、その関係で梶光夫さんも再婚で検索されることが多いようです。
今回は「梶光夫の家族について調査!妻は裕子で息子は武史【ジュエリーデザイナー】」と題して記事をお届けしました。

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