ポップなメガネとユニークな髪型が印象的でお茶の間を賑わせた塩沢ときさん。
今回は「塩沢ときの画像まとめ!若い頃から晩年まで【メガネと髪型が特徴的】」と題して記事をお届けします。
・塩沢ときの画像まとめ。
・塩沢ときのプロフィールや経歴。
・塩沢ときのエピソード。
是非さいごまで楽しんでご覧ください!
目次
塩沢ときさんの画像まとめ。若い頃から晩年まで。
奇抜な髪型とメガネが特徴的な塩沢ときさんはいつ頃からあのスタイルになったのでしょうか?若い頃から晩年までの画像を時系列でまとめたので見ていきましょう!
10代の頃
実践高等女学校に入学した頃の塩沢ときさんの画像です。この時の年齢はなんと12歳です。この頃からあのユニークなスタイルと塩沢ときさんに変貌するなんて想像もできないですね。
上の画像は塩沢ときさんのデビュー時のブロマイド写真になるので10代後半か20代前半の写真です。今の芸能会でもトップ女優になれるくらい綺麗ですね。本当に塩沢ときさんの画像かな?と思いましたがこのブロマイド写真の下には直筆で塩沢登代路のサインが入っていました。
20代の頃
1954年の映画『うれしや恥ずかし看板娘』で主演を務めた頃の20代半ばの塩沢ときさん。20代の頃は清純派の女優として活躍していました。
30代の頃
1965年の映画『怪獣大戦争』に出演した、30代半ばの塩沢ときさん。10~20代の頃と比べると少し髪型にもボリュームが出てきているようにも感じます。まだメガネはかけていませんね。
40代の頃
1973年の映画『へんしん!ポンポコ玉』に出演した、40代半ばの塩沢ときさん。まだメガネはかけていませんが、表情や顔つきに往年の塩沢ときさんの雰囲気が出てきたような気がします。
50台の頃
1984年から放送開始された『ライオンのいただきます』に出演した時には、派手なメガネと髪型の塩沢ときさんに変貌していました。
こちらも1986年放送のバラエティ番組出演したときの塩沢ときさんです。
バラエティ番組出演をきっかけに髪型をもりはじめて、ドラマなどでも金持ちの奥様役などがハマりどんどん髪型のボリュームやメガネの派手さがエスカレートしていったようです。
60代の頃
1990年に『小林製薬』のCMに出演した時の塩沢ときさんです。髪型のボリュームもすごくて衣装も派手で全盛期といったかんじです。
70代の頃
70代の頃になると以前より髪のボリュームは減りましたが、メガネは個性的で衣装も派手ですね。
塩沢ときのプロフィールと経歴
続いては塩沢ときさんのプロフィールと経歴を見ていきましょう。
塩沢ときのプロフィール
・芸名:塩沢とき(しおざわとき)
・本名:塩沢登代路(しおざわとよじ)
・生年月日:1928年4月1日
・没年月日:2007年5月17日(79歳没)
・出身:東京市牛込区(現:東京都新宿区)
塩沢ときの経歴
塩沢ときさんは1928年に父・理一と母・美弥生の一人娘として東京都新宿区で誕生しました。
本名は登代路(とよじ)ですが、父親が鉄道会社に勤めていて当時開発中の豊橋駅(とよはし)~川路駅(かわじ)にちなんで名づけられました。
3歳の時に父が脳溢血で亡くなり、それ以降は母親と2人で暮らしています。
学生時代は実践高等女学校で過ごし、卒業後は国際電気通信に勤め、その後長野の食糧営団下伊那出張所でも務めています。
19歳の時に映画会社の東宝が新たな俳優を発掘するために開催していた東宝ニューフェイス2期のオーディションに合格して女優としての道を歩み始めました。
20代から30代にかけては清楚な女性役を演じることが多く、1954年の「うれし恥ずかし看板娘」で初主演を務めました。
1961年の映画『アワモリ君売出す』ではコミカルな講師約を演じてから、明るく健康なイメージがついて、コミカルな役が増えていきました。
バラエティ出演時に派手なドレスを着て美容室で奇抜な髪型にしてもらいテレビに登場したことがきっかけで一躍人気になり、髪型やメガネの派手さがどんどんエスカレートしていき派手な塩沢ときさんのイメージが定着しました。
塩沢ときさんは30歳で舌癌を患い克服、57歳の時には乳癌を克服、70歳を過ぎてからも再び乳癌を患い、その後スキルス性胃癌を発症して79歳でなくなりました。
塩沢ときのエピソード
続いては塩沢ときさんのエピソードを見ていきましょう。
発砲スチロール
大きな頭がトレードマークの塩沢ときさんですが、最初は地毛で大きいヘアーを作っていましたが、だんだんとエスカレートしていき最終的には特注の発砲スチロールの芯を入れて巨大なヘアーをセットしていました。
家賃5万
髪型、メガネ、衣装はド派手な塩沢ときさんですが、幼少期から母親と質素に2人暮らしをしていて、バラエティ番組でのブレイク後も質素な生活は守り、高級住宅街世田谷で家賃5万円ほどの借家に生涯住み続けました。
とき観音
塩沢ときさんのお墓は両親が産まれた長野に建てられています。墓石には本名の登代路ではなく塩沢ときと彫られていています。またお墓の隣には「とき観音」と彫られた観音様が建っていますが、観音様のヘアースタイルと優しい表情は晩年の塩沢ときさんのようですね。
まとめ
今回は「塩沢ときの画像まとめ!若い頃から晩年まで【メガネと髪型が特徴的】」と題して記事をお届けしました。
塩沢ときさんはバラエティ出演をきっかけに独特なヘアスタイルとメガネの姿になっていったことがわかりました。またテレビで見せる派手な一面とは逆に普段の生活は生涯質素であったことがわかりました。
テレビで見せるエネルギッシュな塩沢ときさんを見て元気をもらった方もたくさんいらっしゃるかと思います。生前のご功績を偲び、謹んでご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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