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伊集院静の若い頃の衝撃エピソードや画像。元奥さんは夏目雅子と篠ひろ子!

伊集院静

作家として数々の文学賞を受賞し、作詞家としても名曲を生み出した伊集院静さん。

今回は「伊集院静の若い頃の衝撃エピソードや画像。元奥さんは夏目雅子と篠ひろ子!」と題して記事をお届けします。

Sakura
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是非さいごまで楽しんでご覧ください!

伊集院静の若い頃の画像やエピソード

伊集院静さんの若い頃の画像やエピソードをまとめたので見ていきましょう。

若い頃の画像

伊集院静さんの小学生時代の写真です。幼いですが面影はありますね。

学生時代は立教大学で野球をしていました。

1984年当時34歳の伊集院静さん。夏目雅子さんと結婚した時になります。

1992年42歳頃の伊集院さんです。

若い頃からイケメンというより「渋さ」と「落ち着き」で見せるタイプですね。昭和の男の美学を体現しているような方です。

若い頃の生い立ちやエピソード

伊集院静さんは1950年、山口県防府市にて在日韓国人2世として誕生しました。
幼少期は貧しさの中で育ち、家庭環境は決して恵まれていませんでしたが、その分、人の情や言葉の重みを早くから感じ取るようになります。

少年時代から野球に打ち込み、高校ではエースとして注目され、立教大学でも硬式野球部に所属。
文学部で学びながらも、野球部の寮に文学全集を持ち込むほど、本と詩に惹かれていた異色の青年でした。

見た目も整っており、大学では「静かだけど存在感がある」と女子学生に人気だったそうです。その後、肘の故障で野球を断念しました。

大学卒業後、伊集院静さんは広告代理店に入社し、CMディレクターとして活躍。薬師丸ひろ子や松任谷由実のライブ演出など、80年代カルチャーの最前線に立ちました。
その中で作詞家「伊達歩」としての顔も持ち、近藤真彦の『愚か者』などの大ヒット曲を手がけます。

一方、1981年には小説『皐月』で作家デビューし、1992年『受け月』で直木賞を受賞。作詞・作家の二刀流で注目を集める存在となりました。

プライベートでは、最初の妻との離婚後、1984年に女優・夏目雅子さんと結婚。わずか1年後、彼女は白血病でこの世を去り、大きな喪失を経験します。

その後、1992年に女優・篠ひろ子さんと再婚し、静かで穏やかな生活を築きました。仕事でも人生でも、深い愛と喪失を繰り返しながら、伊集院静という一人の男は強く、美しく生き抜いたのです。

伊集院静の若い頃に関するその他の情報

伊集院静の奥さん

続いては伊集院静の奥さんについて見ていきましょう。

最初の妻

伊集院静さんは電通に入社した1970年代に最初の奥さんと結婚しています。2人のお子様に恵まれましたが、2番目の奥さんとなる夏目雅子さんと不倫関係になり1980年に離婚しています。

最初の奥さんは伊集院さんとの離婚後に再婚することはなく保険外交員の仕事などをしながら2人のお子様を女手一つで育てました。

最初の奥さんは一般の方なので写真などはあまり公表されていませんが、伊集院さんの娘の西山繭子さんのブログにスタンプで顔は隠されていますが最初の奥さんとの写真が掲載されていました。

また西山繭子さんのブログには母親が「東亜国内航空」で働いていたことが記載されていたので、CAの仕事をしていた時に伊集院静さんと出会い結婚したのかもしれませんね。

夏目雅子

2番目の奥さんは女優の夏目雅子さんです。1977年に夏目雅子さんが出演したテレビCMのディレクターをしていたのが伊集院静さんで、2人はそこで出会い不倫関係に陥りました。

最初の奥さんとのお腹に2人目の娘がいた頃に伊集院さんは家を出て、1980年に離婚して4年後の1984年に夏目雅子さんと再婚しています。

不倫関係から結婚までの7年の間に、女優の桃井かおりさんと伊集院静を取り合う三角関係があったり、伊集院静さんのお子様を妊娠して数回堕ろしたり、母親から結婚を反対されたりしましたが、夏目雅子さんの意思は固く伊集院静さんに積極的にアピールして結婚に至りました。

下の画像は新婚時代にインタビューを受けている幸せそうな写真です。

夏目雅子さんはやっと幸せな生活を手に入れましたが長くは続かなく、5か月後に急性骨髄性白血病を患い療養生活が始まり、順調に回復したと思われたのですが肺炎を併発して9月11日に死去しました。

篠ひろ子

3番目の奥さんは女優の篠ひろ子さんです。1992年7月に伊集院静さんと結婚しました。当時篠ひろ子さんは44歳でした。

2人の馴れ初めは「夏目雅子さんを偲ぶ会」の時に夏目雅子さんのお兄さんの妻の田中好子(元キャンディーズ)さんから紹介されて出会いました。元々、夏目雅子さんと篠ひろ子さんは仲が良かったそうです。

2人の間にお子様はいらっしゃいません。

佳つ乃

夏目雅子さんと篠ひろ子さんの間に芸妓佳つ乃(かつの)さんと交際していました。夏目雅子さんと死別した伊集院静さんはギャンブルと酒に溺れて飲み歩くすさんだ生活をしていましたが、その時に祇園で佳つ乃さんと出会い交際に至りました。

佳つ乃の若い頃の彼氏はあの有名人!現在の旦那は有名企業の御曹司。

娘は西山繭子

伊集院静さんは最初の奥さんとの間に2人のお子様を授っています。長女は一般人の方なのであまり情報は公開されていません。次女は女優として活躍する西山繭子さんです。

西山繭子さんが母親のお腹の中にいる時に父親の伊集院静さんは家を出ていってしまい、2歳の時に両親が離婚したので伊集院静さんとは一緒に暮らした記憶はないそうです。

中学受験に合格した時に母親からお祝いは何が良い?と聞かれ、西山さんは「お父さんに会ってみたい」と言って、初めて父の伊集院静さんと対面しました。

その後、西山さんは芸能界に入ればもっと父親に会えるようになると思い芸能界いりをしました。西山さんと伊集院さんの関係は良好のようで、伊集院さんの晩年には西山さんが事務所のお手伝いをするようになり、一緒に海外などにも行かれています。

西山さんは母親と姉と3人暮らしで育ちましたが、伊集院からの養育費などはそこまでなかったようで、バイトできる年齢になってからはバイトをして、大学の学費も自分で出して通ったことがオフィシャルブログで書かれていました。

母親と姉との関係も良好で、ブログには母親と旅行に行ったことや、姉の子供たちと仲良く過ごしていることなどが綴られています。姉は結婚して3人のお子様がいらっしゃいますが、西山さんは現在も独身です。

下の画像は西山繭子さんが若い頃の高校生の時の写真です。

伊集院静のプロフィールと経歴

プロフィール

・本名:西山忠来(にしやま ただき)

・出生名:趙忠來(チョ・チュンレ)

・生年月日:1950年2月9日

・出身地:山口県防府市

・国籍:日本(帰化)

・学歴:立教大学文学部日本文学科 卒業

・死没:2023年11月24日(享年73歳)

経歴

伊集院静は1950年、山口県防府市にて在日韓国人2世として生まれました。出生時の名前は「趙忠來(チョ・チュンレ)」。その後、日本に帰化し、名前を「西山忠来(にしやま ただき)」へと改めます。

帰化後は広告業界を経て文壇へと転身しました。『乳房』や『受け月』『機関車先生』などの文学作品のほか、伊達歩名義で近藤真彦の『愚か者』などを手がけ、音楽界にも影響を残しました。

夏目雅子との結婚・死別、篠ひろ子との再婚など、私生活も映画のようにドラマチック。趣味や人脈も幅広く、競輪や麻雀、野球などを愛し、多くの著名人と交流を深めていました。

2020年にくも膜下出血で倒れて救急搬送されましたが手術を受けてリハビリをして退院。2023年に肝内胆管がんの診断を受け同年の11月24日に死去しました。

今回は「伊集院静の若い頃の衝撃エピソードや画像。元奥さんは夏目雅子と篠ひろ子!」と題して記事をお届けしました。

Sakura
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